私が日記を書いている場所

もう通院の日が来た。
月に一度精神科に通い、1ヶ月分の薬をもらい、毎晩必ず服用している。一晩でも欠かすと悪夢と金縛りにうなされ、目が覚めてからも体に力が入らなくなる。私をなんとかまともに保ってくれている薬が底をつくのを見て、またあっという間に1ヶ月が経ったことに気づく。

 

病院の待合室で小説を読んだ。
私の部屋には私に読まれたことのない本が数えきれないほど積まれている。出先で手持ち無沙汰になりそうなとき、それらの中から1冊を適当に選んでバッグに入れる。病院は予約しているはずなのに毎回待つことになるから、今日もそうして本を持って家を出た。

 

40分ほどの待ち時間の間に、レイモンド・カーヴァーの「ぼくが電話をかけている場所」という短編を読んだ。
そもそもなぜこの本が私の部屋にあったのか、好きな作家がカーヴァーについて書いているのをどこかで読んだ、そんな理由だったと思う。どんな話なのか全く知らずに読み始めたのだったが、結果として私は幸運だった。

 

予期していなかったのに、その時の自分がいちばん必要とするものに巡り合うことがある。音楽だったり映画だったり、本だったり人だったり。そんな幸運な瞬間がある。
自分がもっと凸凹していた10代の頃には、そこに何かがハマる瞬間というのも多かった気がする。歳を重ねるにつれて私の凸凹は海岸の石みたいに均されて、いつか起伏のない日々の上を優雅に滑るようになるのかもしれない。

 

「ぼくが電話をかけている場所」は、私が今日病院の待合室で読まなければいけない本だった。明日でもダメだし、違う場所でもきっとダメだった。
診察を待ちながら、私は今日この本を読んだこと、私が今いる場所、そこから見えている景色、私が海岸の石ではないこと、その一切の幸運を覚えていようと思った。

 

 

 

 

 

(noteより移行)