今週は月曜からずっと雨が降ったり止んだりしていて、私の体調は最悪だった。

 

雨音と共に錘がぶら下がっていくように私の体は重くなり、常に緩く締め付けられているように頭が苦しい。手足が冷たくなり、呼吸が浅くなる。
この緩やかな地獄のようなしんどさを他人に伝えることができない。雨が降ったぐらいで大袈裟だと思われるのかもしれない。でも個人的な痛みというのはすべてそういうものなのかもしれない。

 

とにかく体を温めなければいけなかった。
湯船を洗いお湯を貯める。
18で上京して住んだ部屋はユニットバスで、それから私は滅多に湯船に浸からなくなった。18年毎日のように続けてきたことでも、習慣でなくなってしまうと途端にできなくなることがある。いつだったか帰省して実家のお風呂に入ろうとした時、目を凝らすと先に入った家族の毛やら垢やらが湯船に浮いていて、それに気付いてから私は人が入った後のお風呂に入れなくなった。

 

大人になるとできることばかりが増えるわけではなく、できないことが増えることもある。
私はいつか電車に乗れなくなったり、肉を食べられなくなるんじゃないかと思う。

 

熱いお湯に浸かるのは気持ちよかった。
ジンジンと手足の感覚が麻痺し、徐々にそれが戻ってくる。
感覚を取り戻したお湯の中の自分の体を眺めた。貧相でだらしない体。気づけば上京して10年になろうとしている。10年前の私の体はどんなだっただろう。今よりもっと私は私の体が嫌いだった。10年後の私の体はどうなっているのだろう。私の体は何かを産んでいるのだろうか。

 

母の体を思い出す。母はふくよかで色が白くて、でも手だけは節くれ立っていた。働き詰めた女の人の手だった。
私と母の体は全然似ていなくて、本当にこの人の子供なのだろうかと不思議に思ったりした。そして母が私を産んだ年齢を、私がとっくに追い越していることも不思議に思う。私があまりに幼く臆病で怠惰に思えるから。
母の体に触れたい、と思い、それ以上考えないために頭を湯船に沈めた。耳の中にゴボゴボと音がして消えた。

 

 

 

 

 

(noteより移行)