会社に置いたままの資料がどうしても必要になり、久しぶりに出勤した。

家を出て5秒で、もう家にいる猫が恋しかった。
母が初めて私を保育園に置いて働きに出た日、私のことが恋しくて車の中で泣いたのだと言っていたことを思い出す。

 

昼時の電車にはもっと人がいないものと思っていた。こんな状況になる以前も、このくらいの時間の京王線はこんな様子だったように思う。それ程には人がいた。それでも、脱毛サロンや英会話教室自己啓発本の広告が姿を消した車内は、いつもより少し呼吸がしやすい気がする。そんなことをぼんやり考えているうちに乗り換えを間違えた。

 

会社の最寄駅で通勤定期を解約したところ、私が最後にここへ来たのは3月の終わりだとわかった。
2ヶ月の間に、駅から会社へ向かう上り坂の途中にぽっかりと空き地が出現していた。真新しい土が均されたその場所にあった建物の姿を、私はまるっきり何一つ思い出せない。

 

久しぶりに都心へ出たので仕事終わりに駅ビルを覗いてみたが、いつも通り欲しいものはなかった。営業していないビルの中で、顔のないマネキンが一糸纏わぬ姿でライトアップされていて、6つに割れた腹筋と簡略化された男性器に影を作っていた。

 

帰りの電車は特急に乗るのを避け、なんとか各停の座席を確保した。それ程には人がいた。座った私の前にスーツ姿の男性がつり革を掴んで立つ。私はその顔を見なかった。ただ、もし誰かのことが恋しくてたまらなくなってしまったら、私は今すぐこの知らない人の目の前でさめざめ泣くしかないんだろうと思った。

 

 

 

 

 

(noteより移行)