抵抗

半年ぶりに日記を書くきっかけはnoteの退会だった。

公開してあったものはこちらに移行して、下書きに溜まっていた書きかけのものは潔く中身を見ずに削除し、noteを退会した。

 

私は何かを決断することが非常に苦手な人間である。決断することに伴って生じる責任を負う覚悟がまるでできない。だから結婚とか転職とか引越しとかいった決断が必要とされる局面をできるだけ避け、いつもその時の流れとノリと瞬発力だけでここまで生きてきたと言っていい。私としてはそうやって大概いつも良い気分で生きていけるならそれも一つの生き方だと思っているのだが、流れるように気分良く生きるというのはちっとも簡単なことではないし、その困難さがどんどん極まってきているように思う。世の中はなぜか無抵抗の私を心地良い方向に流してくれない。

 

大人になったらいろんなことを許せるようになるんだと思っていた。ものを知り世の中の理屈が分かれば、大概のことは納得できるようになるんだろうと。そして私はとっくに大人の年齢になっているんだが、実際には許せるどころか理解にすら苦しむ稚拙な論理と無邪気な暴力がまかり通っている現実に気づくばかりだ。なぜこの国の女性は同意なき性行のあげく緊急避妊薬を手にすることすら叶わない?なぜ外国人や社会的弱者を人として扱わない言動が許される?なぜ歴史から学ばずに修正さえしてこの国が良くなると思う?なぜ?なんで?マジでなんでなの?

 

こういうことをスルーできるほど私はバカではなく、許していたら私はちっとも気持ちよく生きられない。だからできる決断はしないといけないのだ、私が良い気分で生きるために。

だからnoteは使わない。DHCのサプリも捨てた。ウイグル綿を使った服も買わない。

ささやかだが、一つひとつの決断と責任に自覚的でありたい。そうやって抵抗しないと私の、私たちの生活はすぐにバッドな方に流されるから。

 

本当は責任とか考えずにのほほんと暮らしたいんだけどな〜。デカい犬でも撫でながら。