家にいる

レコードの収納スペースが足りなくなってしばらく放置していたのだが、思い切ってレコードラックを買った。
お金はないのでAmazonでいちばん安くて多く入る物をポチる。翌々日には玄関の横に大きな段ボールが置かれていた。
「置き配」は前から利用していたが便利だ。以前は日中仕事で受け取れないからだったが、今は配達員の方の感染リスクを減らすというメリットもある。
家にいろ、と言われ続けている私のストレスはネットショッピングで発散され、それを家に運んでくれる配達員の方々の仕事によって収束している。
この重たい段ボールを、3階まで階段を上って運んでくれた顔の見えない配達員の方へ深く感謝し、そして罪悪感を抱く。

 

久しぶりにやってみて改めて思ったが、私は家具の組み立てという作業がかなり好きだ。
説明書通りに機械的に物事が進んでいく気持ちよさ、パズルがはまっていくように徐々に見えてくる機能を持った形。
幼稚園の頃、折り紙の本を見るのが大好きで、そこに書かれている手順通りに手を動かすと船やら猫やらの形が現れるというのが感動的に快感だったことを思い出す。
自分で設計図を書いて家具を作るというのも好きで、これまで使っていたレコードラックはそうして自作したものだった。だから我が家にはちょっとした工具が揃っている。電動ドライバーさえあれば女だろうと無敵になれる。

 

意気揚々とラックを組み立て始めたのだったが、だんだんと嫌な予感がしてきた。
なんだか、合わない。
サイズは確認して注文したはずなのに、なんだか大きい気がする。
色もなんか変だ。
実際安いんだけど安っぽい。
なんか思ってたのと違う。
電動ドライバーを回してラックの完成が近づくたびに、今いちばん要らない形のテトリスが落ちてくるような残念な気持ちになる。
耐えられなかった。
そして私は最後のネジを締め終えた瞬間、ラックをメルカリで売り飛ばした。

 

見知らぬ誰かが使うための棚を作り終えた私は、なんだかいつもこんな感じだな、と思った。
生活をよくしたいんだけど、なんだか上手くいかない。漠然と不満があり、もっと良くなるはずだという期待があり、でもその方法はわからず、いつもじんわりと疲れていた。

 

家はそんな生活を映している。
そして私はそこにいなければいけない。
レコードを溢れさせどこにも合わない棚を取り付けてしまう私を直視しなければならない。
気が狂いそうだ、と思う。

 

 

 

(noteより移行)