化粧

お化粧を覚えたのはずいぶん遅かった。
田舎の女子高生だった頃はもちろん、上京してから大学生をしていた4年の間も、いくつか化粧品を試してみては顔に異物が貼り付いているような気がして、結局いつも素顔のまま過ごした。

 

化粧というものに対してずっと居心地が悪かった。
自分なんかが化粧をするなんて恥ずかしい、気づけばそう思っていた。
周囲の友人たちが恋やおしゃれに興味を持ち始める年頃には、自分の興味があまりそれらに向かないこと、つまり自分が“女の子らしい女の子”ではないことが自ずと理解できる。そんな私が必死に“女の子”になろうとするなんて考えただけで無様だ。化粧は、そういう行為だった。

一方で、化粧をすることで、社会が要求する“女性らしさ”をいっしょに背負わされるのが苦痛だった。
化粧をすることは、この社会に適合するためのイニシエーションのように思えた。だから私は拒否したかった。男に受け入れられることを至上命題にしている“ありふれた女たち”の仲間になんてなりたくなかった。

 

でも、“女の子らしい女の子”も“ありふれた女たち”も、一体どこからやってきて私の中に居座っていたのだろう。
そして今もどれほどの女の子たちを苦しめているのだろう。

 

部屋に花を飾るように、お気に入りの食器に料理を盛り付けるように、自分を飾ればいい、と気づくまでにとても時間がかかった。
自分を飾ることは自分を殺すことではない。生活を彩ることが生活を殺すことではないように。
私自身が私を慈しめばいいだけのことだったのに、なぜかそう教えてくれる人は少ない。自己否定は死に至る病だというのに。

 

今の私にとって化粧は、生活の中の花だ。私が心地よく生きるためにある。来客があればおもてなしの意味を込めてちょっと気合を入れる。

しかし最近はずっと家に篭りっぱなしだし、外出時はマスクのせいで、生活からこの楽しみが減っているのが悲しい。
だからまた誰かと会えるときのために大切に花を育てる。

 

 

 

 

(noteより移行)