5月

気づけば5月になっていた。


もはや誰一人覚えていないと思うが、ちょうど1年前の5月の始まりとともに年号が変わった。そしてその瞬間を私は精神病棟のベッドの上で迎えた。だから私だけがこの日のことを個人的なエピソードとして記憶している。

 

4年前の5月に母が死んだ。
はっきりとその時を境に、私の記憶は曖昧になっている。
仕事でどんなことをしたのか、毎日をどう過ごしたのか、どんな人と出会ったのか、どんな決断をしたのか、どんな失敗をしたのか、そういう日々の記憶がぼんやりとしていてあまり思い出せない。

ただ状況を見れば、私はだんだんと食欲を失い、痩せて、いくら寝ても眠り足りず、ベッドから起き上がる気力を失い、ついには会社に行けなくなっていた。

 

積極的に死にたいと思う気力すらなく、生きていたくないという願いだけがいつもあった。
でもそれは物心ついた時からずっとそうだったようにも感じられたし、そう思わない状態というのを想像できなかった。ただ、酒を飲んで自分の理性を破壊したり、雨音と低気圧の中で目覚めたりした時に、はっきりと死にたいと思った。

 

毎日決まった時間に食事をとり、薬を飲み、眠る。入院中私に課せられたことはそれだけだ。たったそれだけのために私は介助を要した。
そしてたったそれだけがようやくできるようになった頃、私のモラトリアムはタイムリミットを迎え、あの日からは3年が経過していた。

社会復帰して1年になる。
どうしてこんなにいきなりいろいろなことができるようになったのか、自分でもわからない。
薬が効いたのかもしれないし、ただ長い時間の経過が必要だったのかもしれない。
こんなに世界が混乱を来しているのに、今の私は自分でも意外なほど、まともな状態を保っていると思う。

 

死が私たちの生活に忍び寄っている。それも人類に平等にではなく、政治の機能不全と歪な社会構造の影のように、はっきりと濃淡を持ったかたちで。
私は日々強い怒りを感じ、死ぬことが怖いと強く思う。だから私はまともなのだ。

 

雨の気配を感じるだけで死にたくなっていた私には、しばらく会っていない。

 

 

 

 

(noteより移行)